Web ネイチャーランブリング
第74回 コケの魅力
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冬枯れの森の中でも、変わらず緑を保っているのがコケの仲間です。
森の林床や大きな岩、樹齢ある巨木、そして小道の縁や沢筋の石の上など
そのつもりで目を向けると、コケはいたるところに生えています。
コケのある風景には、一種独特のおもむきがあります。
日本の森の内部景観が、特にしっとりとした「潤い」に満ちているのは、
コケの豊かさによるところもまた大きいのではないでしょうか。
「コケ」というと、どうしても陰湿地──じめじめしたところに生えるもの、
という印象が、おそらく一般には強いようにも思います。
私自身、コケと聞くと、つい「日陰」とか「裏庭」を連想しがちです。
ところが実際のコケ類の生息環境は多様です。
直射日光の当たる明るい場所にも、意外なほど、生えていたりします。
そればかりか砂漠と海中以外であれば、ほとんどどこにでも見られるとか。
富士山、ヒマラヤ山脈、はては南極にまで生育することが知られています。
コケは体の表面から空中の水分を取り込み、
光合成をして暮らしている生きものです。
一般の植物のように、土壌から養分を吸収することが、ほとんどありません。
ゆえに樹の幹や岩の上など、他の植物が育ちにくいところでも生きていけるのです。
地味ながら、実にたくましい存在。おそるべきパイオニアなのですね。
その反面、イメージどおり乾燥には弱いというのも本当です。
十分な空中湿度がなければ、生きていけません。
森は空中湿度の高い環境なので、こと水分には不足はないでしょう。
でも、盛夏の薄暗い森の底を思うたび、首を傾げてしまいます。
光の点では、はたして大丈夫なのだろうか、と。
奥入瀬や蔦の森のあちこちで目につく倒木や岩のかずかずは、
たいていコケの仲間たちに、みっしりと覆われています。
ただよく見ると、木洩陽のあたる倒木の「表」側には広がっていても、
完全な日陰となってしまう「裏」側には、ほとんど姿を見ることがありません。
暗い森の底でも、彼らがわずかな「光」を求めているということなのでしょうか。
あるいは、森が裸になる晩秋から春にかけ集中して光を得ているのでしょうか。
いずれにせよ、湿度と光の微妙なバランスの上になりたっている
大変デリケートな生きものであることがわかります。
私が森のランブリングでコケの存在をしっかりと意識するようになったのは、
倒木や岩の上に広がる緑のマットの上にぽつんと落ちたタネが発芽し、
やわらかい緑の敷布の上で、元気に育っているさま、
そして雨のあと、たっぷりと水を含み、輝く水滴を無数にしたたらせているさまに
しだいに魅かれていったことがきっかけでした。
森を育てるのは、実はコケなのだ──少なくともそんな一面を持つことに気づき、
そのことに、ちょっとした感動を覚えたのでした。
日本には「苔むす」という言葉があります。
国歌にも歌われていますね。もともとは『古今和歌集』の詠み人しらず、
「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」に拠っています。
苔が生える、というよりも「むす」という表現のほうがずっと印象的ですし、
実際のイメージにもぴったりです。
この「むす」という言葉は、「生す」「産す」と書かれます。
万物を産する神霊であり、その霊妙な力のことを「産霊」(むすび)といいますが、
おそらくはここからきた表現なのでしょう。
後世になって「産霊」を「結び」と関連づけたところから
「結びの神」すなわち男女の仲を取りもつ縁結びの神という概念が生じます。
男女が結ばれることによって、新しい生命が生まれる。
世にいう「息子」「娘」という言葉も、もとは「生す子」「生す女」でありました。
「むす」は、単に苔や草木が生まれ広がることの意味にとどまらず、
結ばれ、生まれ、そして悠久の生へとつながっていくことを表しているのです。
森とコケの関係に思いを馳せるとき、
いつもこの「産霊」という言葉が浮かびます。
これもまた、私が森のコケに魅了される理由のひとつとなっているのです。
森のなりたちの、その「根源」には、
コケや菌類という存在が実に深く関わっている。
それを意識することによって、森の見え方が、少しずつ変わってきたのです。
ですが、そうした「縁の下の力持ち」的な「役割」だけでコケに魅かれているのか、
といえば、もちろんそればかりではありません。
なぜならば、コケという生きものそのものが、たいへん美しい存在であるからです。
そのことに気づいたのは、思えば高校の修学旅行のときでした。
嵯峨野の祇王寺を訪ねた折、庭一面に広がるコケに目を奪われました。
ただ、そうした庭園のコケの美と、森の底に広がるコケの美が結びつくまでには、
カメラを持って、森を撮り歩くようになるのを待たなければなりませんでしたが。


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