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第30回 森の水鳥・オシドリ
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前々回より「往くカモ、来るカモ」のシリーズで、
十和田湖と奥入瀬の水鳥についてお話しています。
十和田湖で冬を越し、春の訪れと共に北へ去るカワアイサ、
奥入瀬渓流で数ペアが繁殖、子供が生まれると共に
海へと去るシノリガモを御紹介してきました。
今回はオシドリについてお話したいと思います。
有名な「おしどり夫婦」のオシドリです。
カワアイサ、シノリガモと同様に、
オシドリもまた「森の水鳥」です。
湖沼や河川流域の森の樹洞で繁殖するカモです。
奥入瀬・十和田・八甲田山麓の森の水辺では、
毎年、子育てをしています。
シノリガモに較べると数も多く、
たとえば蔦温泉の蔦沼や菅沼、長沼などでも見られます。
取り上げた3種類の「森の水鳥」のなかでは、
いちばんのおなじみさんといってもよいかもしれません。
厳冬期に入ると南下してしまうようで、
姿が見えなくなりますが、春早くになるとまた戻ってきます。
そして雪の降る頃まで暮らします。
春の十和田湖では、オスとメスの混じった小さな群れが見られます。
美しい羽色はよく知られており、
英名はマンダリン・ダックといいます。
中国は清朝の高級官吏の正装に見立てられた名称ですが、
同じ仲間のアメリカオシドリは、
ウッド・ダック(森のカモ)と呼ばれています。
オシドリそのものは東アジアの特産種で、
現在ヨーロッパで見られるものは、
古い時代に日本から「輸出」されたものであるといわれます。
見た目派手ではありますが、和的な要素の濃い鳥なのです。
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オシドリに関しては、特に有名な話が三題あります。
ひとつには、漢字名の「鴛鴦(えんおう)」です。
オシドリを「鴛鴦」と書くことは、よく知られています。
鴛鴦とは、すなわち雌雄のことであり、
「鴛」がオスで、メスが「鴦」であるといいます。
ただし古名は現在と同じ「オシ」です。
これは、この鳥が「相思相愛の鳥」であるがゆえ、
「愛」を表す古語「ヲシ」に由来するというのです。
オシドリとは「愛鳥」の意だったのですね。
それにしても、なぜオシドリだけが、
昔からことのほか夫婦仲の良い鳥とされてきたのでしょうか。
どのカモもそうですが、オスの色はいずれも美しく、
メスはいたって地味です。
カワアイサ、シノリガモも同じです。
マガモやコガモ、カルガモ、ホオジロガモなど、
このあたりでよく見られる水禽類は、みんなそうです。
ただオシドリの場合は、その美しさがひときわ際立っており、
ことのほか、よく人目につく鳥です。
そして山中から人里に至る広い範囲で繁殖していることもあり、
誰が見ても、ひと目で雌雄とわかるその姿、
そして、いかにも仲むつまじく寄り添いあうそのようすから、
夫婦愛の象徴となったものと思われます。
つがいのオシドリのオスを射ると、
メスはあやめられた相手を思うあまり、
自らの嘴で腹を刺して後を追う……この物語は、
古典である『古今著聞集』にも見られ、
同じ内容の噺は、日本全国に分布しています。
いわゆる「鴛鴦の契り」ですね。
北海道のアイヌ民族にも、この鳥を獲ったならば、
必ずその相手も一緒に獲らなければならない、
というよく似た伝説が残っています。
しかもオシドリを射ると、
恐ろしいことにその後六代に渡って祟るとか。
時代と地域を問わず、いかにこの鳥が人びとに
愛されてきたのかがうかがわれるエピソードですね。
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近年の動物行動学の進展に伴い、
「鴛鴦の契り」は果たして本当か、という話題は
珍しくなくなりました。
シノリガモの回で御紹介したように、
カモ類のオスは育児をしません。これはオシドリも同じです。
メスが卵を産むと、さあこれでお役御免とばかり、
さっさとオス同士で集まり、そこでまた新たなメス
──繁殖しなかった、あるいはそれに失敗したメスに向かい、
求愛したりなどしています。
できるだけ多くのメスと交わり、我が子を残す確率を
高めようとしているのでしょう。
うまく二回目の繁殖が成功しても、
やはり産卵と同時に夫婦仲は解消となります。
これのどこが「鴛鴦の契り」なのかというわけで、
よく話題になるわけです。
カモ類の産卵以降の夫婦解消は、
生態図鑑にも記されているところなので、
根拠のない話ではないのですが、実はこの説には異論もあって、
特に留鳥性(年を通じて移動せず、ずっと同じ地域に留まる)の
オシドリに関しては、その夫婦の結びつきは強い、とする
興味深い見解もあるようです。
研究報告として発表されているものではなさそうなので、
まだその真偽は不明ですが、
鳥たちの世界も決して単純なものではなく、
ひと筋縄ではいかないようです。
確かに、十和田湖のオシドリでも、
繁殖期がとうに過ぎた頃でも、
雌雄で寄り添う姿を見ることがあります。
聞きかじり・読みかじりの知識だけで、
生きものの世界のことをわかったようなつもりになるのは、
だめということですね。
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「森の水鳥」にふさわしく、
オシドリがドングリをよく食べていることも、
最近ではよく知られるようになりました。
樹洞ができにくく、また餌となる植物性の実やタネ、
動物性の昆虫なども少ない針葉樹の植林地などでは、
オシドリの姿を見ることはあまりありません。
ミズナラをはじめとする、広葉樹の森がオシドリのすみかです。
秋には、そこでドングリをくわえている様子を
確かによく見かけます。まさにウッド・ダックの面目躍如です。
そのせいか、近年ではオシドリ保護のためということで、
森のドングリを拾い集めて保護団体に寄付したり、
越冬地の川や湖沼に撒いて、餌付けしたりされています。
そうした活動を町おこしにしているところもあります。
そしてその行為は、目下おおむね好意的に解され、
紹介されることが多いようです。
でも、これに対しても異論があります。
オシドリは、本当にドングリばかり食べているのでしょうか。
秋から冬にかけて、好んで食しているのは間違いないでしょう。
ある意味、頼っているともいえるでしょう。
けれどドングリには栄養だけでなく、毒素も含まれています。
森のノネズミにしても、あまりドングリばかり食べ過ぎると
死んでしまうことも知られています。
野生の生きものの世界でも、やはりバランスは大事です。
それになにより、オシドリのためばかりに
森のドングリを掻き集めてしまったら、
それを頼りにしている、そのほかの生きものたちの糧は
どうなってしまうのでしょう。
ヒトは、いつも綺麗で愛らしいものばかり大事にしたがります。
あるいは、それは性として仕方のないことかも知れません。
ただ、あまりにも身勝手で短絡的で刹那的である、との
そしりをも、決してまぬがれることはありません。
自然との上手なつきあい方が、本当に不得手なのだなあ、
そう思ってしまいます。
好きな鳥に餌を撒くことに腐心しても、
その糧をはぐくんでくれる森をどう守っていくのか、
そこまでにはなかなか思い至らない……
こんなことをいうと、いかにも評論家然とした、
ちょっとイヤラシイ批判かもしれません。
しかし「森の水鳥」を愛するということは、
その母体である「森」を思うことにほかならないはずと、
やっぱりそんなふうに思ってしまうのです。


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