web ネイチャーランブリング 第58回 蝉の骸

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第58回 蝉の骸

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  ブナの森は、もやはすっかり初冬の様相です。
  黄葉もほとんど散ってしまい、森の底は枯葉の海となっています。
  この季節の森歩きには、あまり派手な楽しみはありませんが、
  他のものに目を奪われにくいため、ふだんあまりじっくり見ることのない
  樹皮のコケや地衣類などをじっくり見て歩くことが多くなります。
  すると、それに乗じて意外な発見に恵まれることもあります。
  今回、御紹介する蝉(せみ)の骸(むくろ)も、
  そんなコケ遊覧のさなかに偶然、見つけたものです。

  骸というよりも、むしろミイラといった方が的確でありましょうか。
  樹皮の割れ目の中で微動だにしない、空蝉(うつせみ)ならぬ
  枯蝉(←私の造語です)を目にした時には、ドキッとしました。
  初めは、あまりのことに既に生命の鼓動をなくしたものだとは思わず、
  なんでこんな時期に? なんでこんなところに? なんでこのままで? 
  と、すっかり慌ててしまいました。まさに即身成仏したセミです。
  なんともいえない悲哀というか、哀愁を漂わせているその姿に、
  私はすっかり魅せられてしまいました。


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  奥入瀬のブナ林には、ひと夏を通じていろいろなセミが鳴きます。
  春には、ご存知エゾハルゼミ。夏にはエゾゼミ、コエゾゼミがにぎやかです。
  アカエゾゼミもいるそうですが、まだ見たことはありません。
  また、焼山や十和田湖のまわりなどでは、そんなに数は多くもなさそうですが
  アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ニイニイゼミなどの声も聞きます。
  (チッチゼミもいるようですが、私はまだ聞いたことがありません)
  焼山ではヒグラシの声はよく、耳にします。夕暮れ時に聴こえてくる、
  カナカナカナ……という情緒あふれる、あの音色です。
  北国のセミの種類は、ひと通りそろっているのが奥入瀬界隈のようです。

  さて、ではこの即身成仏のヌシはいったい誰なのでしょうか?
  すっかり枯れてしまっているので、詳しい特徴はよくわかりませんでしたが、
  その細身のスタイルから、おそらくは初夏のブナ林を大いに賑わせていた
  エゾハルゼミではないかと思われました。
  ツクツクボウシやヒグラシもスレンダーですが、ブナ林のなかではあまり
  聴くことがないように思え、雑木林などをおもな活動の場にしているようです。
  しかし、これがエゾハルゼミであるとしたら、初冬のいままで、よくぞこのように
  ほぼ完全なかたちのまま残っていたものだと感心してしまいます。


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  エゾハルゼミは5月から7月にかけ非常に多くの個体が発生するわけですが、
  その死体を目にする機会は案外なほどに少ないのです。
  たいていは鳥や、アリなどの昆虫に食べられてしまうのではないかと思います。
  実際、アリはセミの大敵です。羽化の途中にアリにたかられて絶命してしまう
  そんな無残なシーンも、蔦沼の遊歩道沿いなどでよく目にします。
  セミが一般に夜から朝にかけて羽化するのも、無防備な自分を外敵から
  護る意味もあるに違いありません。しかし中には明るいうちから、あるいは
  力が続かず長時間に及び、結局敵の目にさらされてしまうということがあります。

  そのようなことを思うと、この骸に出逢えたのは、幸運だったのかも知れません。
  アリの目にも、鳥の目にもとまることなく、また死後、森の底に落ちることもなく、
  その最後を樹上で迎えただけでなく、その後もずっと樹と共にあったのです。
  このセミは、きっと自分の死を悟った際(つまり体の衰弱を覚えた時)、
  樹皮の裂目にそうっと身をしのばせ、命の泉が枯れる瞬間を迎えたのでしょう。
  まさに即身成仏という感じがします。日増しに寒々しくなっていく森のなかで、
  その姿はとても寂しいようでもあり、また尊さに満ちているようでもありました。

(写真・文/河井大輔)